今回の研究会では、神経症性と精神病性の抑鬱が話題となった。
精神分析では、受診者を精神病か神経症か鑑別しようと努力する。それは分析が進むと患者が、"分析家の声が聞こえる"とか"自分を誘惑しようとしている"とか言い出すことを避ける、つまり精神病が発症しないようにしようとしてである、とされている。
古典的精神医学では、正常と異常の区別、病的であるか否か、つまり疾病性が問題になる。近代の精神医学の誕生と発展には、社会防衛と隔離という要素、及び矯正という要素が背景にあるということはフーコーも指摘している。つまり精神病者には欠陥があり、事理弁別能力が無く、社会的責任能力がないので、適切に治療し処遇して社会に適合させる、ということで、隔離と矯正が一体となって精神病院が発展したのであった。
文献的に最も古い分裂病の記録とされているハスラムの"狂気の記述"は、革命下のフランスでスパイとして活動したのではないかと疑われ、その後結局狂人であるとしてイギリスに送り返され施設収容された、紅茶商人マシューという人物について、その家族が不当な施設収容であるとして解放を請求した訴訟において、これが狂人であり収容が妥当であることを示すための記述であった。この時代には隔離という要素が主になっていた。
このように精神病院、あるいはそれ以前の狂人園の中に放り込まれていた雑多な集団の中から、プロセスのある病気としての疾患単位をまとめあげていったのがクレペリンのような人達であった。20世紀の初頭にそのような精神医学体系が固まってから、その疾病性を再び検討しようという動きが高まり、精神病理学が隆盛を迎える。その中で、疾病性の手前にあるもの、つまり正常な側にあるものについての概念として、ヤスパースの了解関連とシュナイダーの異常体験反応には大きな意義があった。彼らからすると、外因性のものを除く、本来の精神疾患とは分裂病と躁鬱病であるということになろう。
経済的な観点から精神医療政策が変更されて、精神病床の削減、外来診療の充実が謳われるようになって久しい。その中で、隔離収容の前提となる異常性、つまり疾病性とされていたものが重要視されなくなる。精神鑑定においても、精神医学的観点に司法的観点や世論が干渉するし、根拠の曖昧な生物学的知見が乱用されたりする。しかし病院が無くなって隔離という要素が減っても、精神医療には矯正と適合という要素がつきまとう。全ての受診者には訴えがあり困っているのだから、それは少しは異常で治療の必要がある、ということになれば患者数は莫大なものとなり、精神医療のニーズは高まっているということになる。生活苦、病苦、痴情のもつれ等の訴えに対して"あなたは病気じゃないから病院へ来なくても大丈夫です"と言うことがある精神科医はどれくらいいるだろうか。病気という概念が、疾病とか疾患ではなく、不具合とか故障と考えられている場合が多くなってくる。人間の、体はもちろん精神も、マニュアル化されたフローチャートに従って修理できるとされる。患者となった側では苦しみが取れない、自分が望むようにならないのは、全て治療が悪いせいだということになる。そこで"お薬を足しましょう"とは言わない精神科医はどれくらいいるだろうか。
こうした考えは、全てを保証してくれるはずの大文字の他者との関係についての空想から生じる。古典的な神経症的な医者患者関係では、全知全能の主人として医者が祭り上げられたり、それに踊らされたり、あてが外れて非難されたりするというのはありふれたことであった。疾病性という医学的判断が曖昧になると、医者を患者が知らない事を知っている主体と想定することは難しくなり、医者も患者も同様にアクセスできるネットやメディア上の切れ切れの知識が権威あるものになる。この場合、大文字の他者は承認してくれる他者ではなく、ただ命令し監視する者、パノプテイコンの塔の中に居ると想定されている者であり、実在の誰かに重ね合わせることができない。医者も患者も自分はマニュアルに従っているのだから治らないのはあなたが悪いと言えるのである。
こうした混乱を避けるためには、疾病性という概念を練り直さなければならないが、それはもう既に精神分析で行われている区別、つまり精神病と神経症という区別に基づけば十分なのである。すなわち、疾病性があるのは精神病でありそれは治癒しない。神経症には疾病性は無く、医学的な治癒像として決まったものがあるわけではない。ラカンに倣って言えば、この疾病性とは父の名の排除であるということになる。だから精神病者には、まねをするかふりをするか以外の、責任能力を問えるような主体性が無いと言えるのであり、神経症者は、自分がそう思うように、自分で治ろうとすることしかできないのである。
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