2011年7月31日日曜日

シニフィアンとは?

 「創造性と書き換え」というテーマの昨年の研究会では、フロイトの「機知その無意識との関係」が多く引き合いに出された。フロイトはこの本の中で「機知は何故可笑しいのか」という問題提起から発して、「機知の機制(メカニズム)」について考察し、機知の「考え」ではなく「形」が直接笑いと結びついているのだということを述べている。その際「夢判断」における「事物表象」と「言語表象」のことが念頭にあり、抑圧との関連を考えているのだが、それについてはこの本を読んで頂いて、ここではこの「形」について考えてみる。


 伝統的な言語観では「言葉の中に意味が宿る」かのように考えてしまうが、言語を純粋に観念的・精神的なものとしてとらえ、「言語とは形相であって実質ではない」と言ったのがソシュールであり、「言葉のイメージは音そのものではなく、考えと同様に心的なものである。」としている。そして「考えと聴覚映像」の関係は「水面と空気の接触において気圧変動によってできる波」とか「一枚の紙の裏と表」のように切り離すことのできないものだと言っている。この「聴覚映像と考え」を記号論の観点からシニフィアン・シニフィエと呼び、そのまとまりがシーニュであり、その結びつきは恣意的であること、それぞれが言語体系の中での他の聴覚映像や他の考えとの関係で決まっていること(差異の体系)、等を主張したことはよく知られている。
 
 精神分析の見地では、言語学のように「聴覚映像と考え」を切り離せないものとはせず、シニフィアンに対応するものは、さしあたりわからないものとして現れる。患者は自分でもそうとは知らずに嘘をつきに来ているかもしれないからである。そこで圧縮と置き換えの機制を考えたりして、他のシニフィアンとの関連をたどりながら(意味を作りながら)、無意識の主体に行き当たることになっている。そのことはおいておいて、そこで扱われるシニフィアンとは、意味の手前にあるものであり、外在的な音ではなく、観念そのものでもないが、その中間にある外在性を帯びた観念的なまとまりと考えられるということに注意を向けてみよう。

 アリストテレスは「形而上学」の中で難問(アポリア)の一つとして、形相(エイドス)実質(ヒュレー)について述べながら、その間に形姿(モルフェー)を考えることができるだろうかと問うている。「感覚的な実体のみが存在すると主張さるべきか、このほかにも別の実体が存在するとするべきか。例えばエイドスを説く人々がエイドスのほかに中間のものが存在すると言っているように、そしてこの中間のものとは、彼らの言うところでは数学的諸学の諸対象のことなのである。」
 シニフィアンをこのようなものとして考えることができるような場合があるだろうか。

 再び言語学に戻って、差異の体系としての言語についてソシュールが挙げている例を見てみよう。
「考え」については例えば、羊は仏語で mouton 英語で sheep だが食卓に出されるのは英語では mutton であるなど、各言語体系内でそれぞれの「考え」の「差異」によって決まる「価値」が違う。
「聴覚映像」については例えば、r を巻き舌で発音(rouler)しても喉を鳴らして発音(grasseyer)しても仏語では通じるが独語ではch (Bach, doch等)を r では発音できないなど、やはり「聴覚映像」の「差異」によって決まる「価値」が異なる。
ここでソシュールは差異の体系として「書かれたシニフィアン」の例として、様々な書体で書かれた t の文字を挙げ、どのように書かれても l やd と区別される限りにおいて価値があるのだと言う。
しかしどのように書かれてもそれは t だという「同一性」があるということを考えなければならないだろう。 
 言語における共時的同一性とは何か、つまりある語や句が様々な文に出てきてもそれを同じと考えるのはどのようにか、ということについて、ソシュールは「夜8時45分ジュネーヴ発パリ行特急」のようなものだと言っている。つまり車体が違ってもそれと言えるような「同一性」のことである。
またチエスの駒のナイトが壊れたりなくなったりして代わりのものを使ったとしても、チエスの規則という他の駒との「差異」の体系の中では同一の「価値」を持つ。(ここで同一性と価値は混ざり合っていく)

 1962年のセミネールでラカンは、さいころの目の ⠶ と ⢕ や ⡇は動物にはどれも4であるというようには考えられないこと、ヒエログリフのミミズクは否定と関連したmの音で読まれるもので表意ではないこと、等に言及しながら、 A=A とすることで取り除かれてしまうものについて考えている。
研究会で問題になった漢字と日本語のことは、日本語の歴史的な発展の考察の前に、無意識における文字の機能のことをまず考えなければならないが、そのあたりの背景としてここで述べたようなことがある。


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